CASE.02 名門企業の全社構造改革プロジェクト
過去の成功に囚われず、新しい全社共通の目標設定と浸透させる仕組みづくり
プロジェクトの始まり、地域の名門企業が創業以来の赤字に転落
Y社は、伝統的な地場産業を主軸とする製造業で、主力事業であるA事業は創業以来数十年にわたり安定した収益を上げていた。
また新たに立ち上げたB事業とC事業もそれぞれ独自の強みを持った製品開発によって、業界内では一定の地位を確保していた。
しかしB事業に対して複数の大手競合が参入し、大きな資本を背景にした設備投資によって大幅に低い原価を実現し、また売り込みに当たっても積極的な施策を行ったりするなど、激しい攻勢を掛けてきた。
またC事業においても大手事業者が参入し、業界の競争環境は一変した。
Y社にとってはこれまで長らく安定的な収益を上げていた3本の主力事業であったが、競争環境の変化に伴いB、C事業の状況が大きく変わり、創業以来、初めて赤字に転落、それも2年連続で計上する事態に至った。
企業再建に向けた事業毎のテーマ
3つの事業のうちA事業は黒字だが、B事業とC事業がその利益を飲み込んでいるという状況において、この2つの事業が市場において競争力を持ちうるのか、あるいは競争力を持つために何をすべきなのか。
B事業については、商品原価低減策を模索したが、資本力のある大手競合に対しては価格競争力では太刀打ちできないため、高価格帯にカテゴリーを絞り、品質・コストのバランスを見直すことで事業存続を図る事とした。
C事業については、あらゆる角度から検討を行ったがY社の競争優位性は見いだせず、いかにして赤字を最小化しつつ撤退するかという戦略を練る事となった。
A事業についても、黒字ではあったものの利益率は年々低下しており、抜本的な対策を必要としていた。
長い歴史の中で微減傾向にあった需要に対して工場の供給能力が過剰になってしまっており、生産拠点の統合集約が必須であったものの社員の合意形成が非常に難しい状況にあった。
企業再建の実現に向けて、全社構造改革と風土改革の実践
過去において「作れば売れて儲かったY社」の現在の姿を全社員に認識してもらい、構造改革を実践するに当たっては、まずは「利益」を社内の共通言語とするために、管理会計と情報システムの整備に着手した。
それと並行して、
- 工場においては、原価分析手法の定着化と、新会議体運営による原価低減検討フローの制度化
- 営業においては、販促費の効果分析手法の定着化、販促費決裁権限のフローの見直し、新会議体運営によるチャネル・得意先選別の制度化
- 商品企画・開発においては、利益ベースでの商品改廃ルールの定着化、商品開発フローの改善(短期化)、新会議体運営による徹底した利益ベースでの開発判定を制度化、等
経営情報システムから提供される管理会計の運用方法を定め、Y社のルールとして現場に適用した。
また、機能別組織運営が、調達・物流・在庫管理の部門最適化を引き起こし、業務の非効率性と過剰在庫の原因となっていたため、サプライチェーンに関わる情報を一気通貫で処理する会議体と運用フローを新たに設計し、制度として定着させた。
上記を社長直轄のプロジェクトとして実行するに際しては「ご褒美」的な制度も設け、利益改善に最も与した活動を行った社員を毎月「月間MVP」として金一封とともに表彰し、「新たな取り組みに挑戦し、結果を残したものが報われる」ことを現場に徹底してアナウンスし、社員のマインドセットの変革も併せて実行していった。
黒字化達成、そしてさらなる飛躍へ、プロジェクトがクライアント企業に残したもの
プロジェクト実行の翌年、A事業とB事業が大きく改善した事によりY社は大幅に収益を回復し、再び黒字を達成することに成功した。
「利益」を共通言語化し、且つ日常的に触れさせる制度を全社的に構築することにより、「作れば売れて儲かった」過去と決別するスピードが上がり、それがそのまま構造改革の実行力と効果に直結し、短期間での黒字回復を可能にしたのである。
本プロジェクトにおいて構築された各種制度やフローを運用し続け構造改革を更に進展させたY社は、弊社とのプロジェクト終了の数年後に、自力でC事業の売却による撤退とA事業の生産拠点統合を成し遂げるに至った。
改革のための制度設計や実行計画の策定だけでなく、プロジェクト期間内でその実運用と定着化(習慣化)にまで漕ぎ着け、結果としてプロジェクトを通じて変革の実行方法を内在化(会社としての能力や体質にする)に成功したことが、その後のY社の大きな発展に繋がったと考えられる。